糖庵

長崎のカステラは、長崎に来航してきた
南蛮船乗組のカステラ王国の人より
長崎の人・村山等安が習い、
一五九二年豊臣秀吉に献上したことに
始まるという。

秀吉は、此の南蛮菓子を大いに慶び
等安を初代長崎代官に任命している。
其の後、長崎の人達は「カステラ等安」と呼んでいたが、
時代が下ると当時は、普段容易に使用できなかった
白砂糖が充分に用いられていた事より
 「長崎カステラ糖庵」とも呼ばれていたという。

    ー越中哲也の「長崎菓子面白話」よりー