江戸時代に長崎に多くの砂糖が輸入されるようになると、
和菓子職人たちは試行錯誤の末、
ふっくらしているのにしっとりと甘い
長崎名菓「カステラ」へと進化させたのです。

カステラの伝来

カステラが長崎にポルトガル人によって伝えられたのは,16世紀後半の織田信長,豊臣秀吉の安土桃山時代の頃であった。日本とポルトガルとの交流のはじまりは,種子島にポルトガル人が漂着し鉄砲が伝来した天文12年(1543年)で、約460年前に遡る(日本史料)。天文18年(1549年,16世紀中頃)にはフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier, スペイン生れ、イエズス会創立者の一人。)が鹿児島に宣教のため来日,南蛮菓子もこの時日本に伝えられたという。
翌天文19年(1550年)の7月に平戸へ来て,船長ダ・ガマに会った。ザビエルは鹿児島にキリスト教を伝え,そのキリスト教伝来とともに南蛮菓子〔ボウル(ボーロ), コンペイトウ,カステラ,アルヘル(アルヘイトウ,有平糖),ヒリョウズ(飛竜頭,がんもどきとなる),ビスカウト(ビスケット),パン等〕もこの時,日本に伝えられ,フランシスコ教会の神父達によって製法が伝えられたという。なお,コンペイトウ(金平糖),アルヘル,ボーロなどの南蛮菓子はカステラとは異なり、形を伴った渡来物である。

 

カステラの語源

カステラの語源はCastilla〔カスティーリャ(スペイン語)〕という文字が当てられるが,これは今のスペイン国の北部および中央部を占めた一古王国の名称Castilla(地名:カスティーリャ)に由来する。カステラの名称の由来は1つには、この一古王国Castllaのポルトガル語呼称であるCastillaが語源となっている。
ただし、Castilla(カステラ)という菓子は本来ポルトガルにはない。今日のスペイン領内の一部であった王国カスティーリャで生まれた食物であったことから名づけられたという。カステラはこのカスティーリャの地名に由来しているということが最有力説となっている。なお、南蛮菓子にはカスティーリャ渡来のコンペイトウ、ボーロ等もあり、いずれもこのカスティーリャ王国の菓子であり、何故カステラだけがこの名を持つようになったかについては異論もある。
しかし一方思うに次の諸説があるので述べておきたい。1つにはカステラがヨーロッパの城の形に似ていたことから、そのスペイン語のキャスティーヨ(Castillo カスティジヨ、カステロー、城)から由来しているともいわれる。そのほか、卵の卵白を城(カステロー、カステル)のように高く泡立てることから、あるいは城のように高くなれと掛声をかけながら混ぜることからなどの諸説があるが定かではい。
卵白を攪拌し泡立ってくると、持あげた時卵白が盛り上がり、ポルトガルでそれをカステロー、すなわち、城のようだというようである。カステラという名前はポルトガル、スペイン、オランダ、英語などの各語にはない。なお、史実によるとポルトガルは初めカスティーリャに属していたが、1139年に独立、王国となって1251年リスボンを都と定めた。15世紀後半には統一国家を完成した。

参考文献:「カステラの科学」仮屋園璋著

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